女子カーリングチーム「フォルティウス」に所属している近江谷杏菜(おおみや あんな)選手。
クールビューティーなルックスと、ここぞという場面で見せる正確無比なショットでファンを魅了しています。
そんな近江谷杏菜選手の家族について調べてみると、
- 父親は長野五輪の男子日本代表選手
- 妹は世界ジュニア選手権に出場した元天才少女
という華麗なるカーリング一家ということがわかりました。
この記事では、近江谷杏菜選手を育て上げた偉大な父の経歴と、かつてメディアを騒がせた妹・七海さんの実績を中心にまとめました。
近江谷杏菜の父親は元日本代表!
近江谷杏菜選手の父親の名前は、近江谷好幸(おおみや よしゆき)さん。
五輪出場経験のあり、男子日本カーリング史におけるレジェンドの一人です。
北見市教育委員会に勤務しながらカーリング普及に尽力しており、公私共に北海道のカーリング文化を支え続けてきました。
娘の杏菜選手が2010年バンクーバー五輪に出場した時は「親子二代オリンピアン」として話題になりました。
長野五輪・男子カーリング日本代表として5位入賞
日本中が熱狂した1998年の長野冬季オリンピック。
カーリングが初めて正式種目として採用されたこの記念すべき大会に、父・好幸さんは男子日本代表のセカンドとして出場しています。
当時の男子日本代表は、開催国枠での出場ながら世界ランク上位の強豪国と互角に渡り合いました。
スキップの敦賀信人さんらと共に氷上に立った好幸さんは、精密なショットと力強いスイープでチームを支え、最終順位5位という快挙を成し遂げます。
世界5位という記録は、冬季オリンピックにおける日本男子カーリング界の最高順位です。
2度目の冬季五輪日本代表となったSC軽井沢クラブは、2018年の平昌五輪で最終8位という記録を残しています。
引退後は名コーチとして「シムソンズ」を指導
現役引退後、好幸氏さんは指導者としての道を歩み始めます。
その手腕が発揮されたのが、2002年のソルトレークシティ五輪です。
映画やドラマのモデルにもなった伝説の女子チーム「シムソンズ」のコーチに就任。
「シムソンズ」には、加藤章子さん、林弓枝さん、小野寺歩さん、堀美香さんが所属していました。
好幸氏さんは、コーチとして地元・常呂町(現・北見市)の「シムソンズ」を世界の舞台へと導きました。
現在のカーリングブームの礎を築いた「シムソンズ」の裏には、父・好幸さんの指導があったのです。
娘に最も大きな影響を与えたのが父親
偉大な父を持つ杏菜選手は、小学4年生からカーリングを始めました。
幼少期から父の影響でストーンに触れ、中学生時代には父がコーチを務めるジュニアチーム「grace」で本格的に競技を開始。
2003年度・2004年度北海道ジュニアカーリング選手権で優勝を果たすなどトップの成績を残しています。
杏菜選手は父親がコーチを務めた「シムソンズ」の映画に相手チームの「北見エンジェルス」の選手として出演しており、間接的な親子共演を果たしています。
杏菜選手がジュニア時代から際立っていたリリースの安定感や戦術眼は、元オリンピアンである父から直接受け継いだ最強のDNAと努力の掛け合わせと言えるでしょう。
チームが2022年の北京五輪代表を逃した際は引退もチラついたようですが、父親の影響もあり現役を続行。
その結果、2026年のミラノ・コルティナ五輪の日本代表を勝ち取りました。
近江谷杏菜の妹もカーリング選手だった
近江谷杏菜選手には、妹の近江谷七海(おおみや ななみ)さんがいます。
実は七海さん、姉に勝るとも劣らない才能を持ったトップクラスのカーリング選手でした。
「ソチ五輪の星」と呼ばれた高校時代
七海さんが一躍脚光を浴びたのは、2010年頃のことです。
当時高校生(16歳)だった七海さんは、父・好幸さんが指導するチーム「北見選抜」のスキップ(司令塔)として活躍していました。
その実力は本物で、2010年の全国高校カーリング選手権では準優勝を果たします。
メディアは彼女を放っておきませんでした。
- 「姉・杏菜に似た愛らしいルックス」
- 「父譲りのセンス」
- 「次世代のヒロイン候補」
大手メディアは、七海さんを「ソチ五輪の星」「カーリング界の新アイドル」として大きく取り上げました。
当時、姉の杏菜選手はすでに「チーム青森」の一員としてバンクーバー五輪に出場していましたが、妹・七海さんもまた、同年代のトップランナーとして注目されていたのです。
「世界ジュニア選手権」出場
七海さんは2011年、「世界ジュニアカーリング選手権」に日本代表として出場しています。
この時のメンバーが豪華です。
- スキップ:吉村紗也香(現・フォルティウス)
- サード:井田莉菜
- セカンド:氏原梨沙
- リード:石垣真央
- リザーブ:近江谷七海
現在、姉の杏菜選手と共にフォルティウスで戦う吉村紗也香選手らと共に、日の丸を背負って世界と戦っていたのです。
妹・七海さんの「現在」は?
そんな才能溢れる七海さんですが、2026年現在はどうしているのでしょうか?
結論から言うと、現在は第一線の競技生活からは退いている可能性が高いです。
姉・杏菜選手のSNS等に妹として登場することはあっても、選手としての活動報告は見当たりません。
おそらく、大学進学や就職のタイミングで競技の第一線からは離れ、現在は一般の方として生活されていると考えられます。
しかし、かつて世界ジュニアを経験したその腕前は、今も趣味のカーリングなどで活かされているのかもしれません。
近江谷杏菜と妹・七海は一緒にプレーしてた?
ファンとして最も気になるのが、「近江谷姉妹が同じチームでプレーしたことはあるのか?」という点でしょう。
「ロコ・ソラーレ」の吉田知那美・夕梨花姉妹のように、姉妹での五輪出場を期待した方も多かったはずです。
しかし、公式戦で同じチームのメンバーとしてプレーした記録は確認できませんでした。
2010年日本選手権での姉妹対決はあった
二人が最も接近したのは、2010年の第27回日本カーリング選手権です。
この大会に、二人は「別のチーム」で出場しています。
- 姉・杏菜: 「チーム青森」のリードとして出場(当時絶対王者)
- 妹・七海: 「北見選抜」のメンバーとして出場
同じ大会の氷上にはいましたが、ユニフォームは別々でした。
当時、妹の七海さんはインタビューで「将来はお姉ちゃんと一緒にできたら」と語っていましたが、その夢が主要大会で実現することはなかったようです。
父・好幸氏はどちらのコーチだった?
この時期、父・好幸さんの立ち位置も興味深いものでした。
姉の杏菜選手は親元を離れ、青森県の「チーム青森」に所属していたため、父の直接指導からは離れていました。
一方で、地元・北見に残った妹・七海さんのチーム「北見選抜」のコーチを務めていたのは、好幸さんでした。
つまり、2010年頃の近江谷家は、「青森で戦う長女」と「地元で父と戦う次女」という構図だったのです。
その後、杏菜選手は北海道に戻り「北海道銀行フォルティウス(現・フォルティウス)」を結成しますが、そのタイミングと入れ替わるように七海さんが競技の第一線から離れてしまったため、姉妹タッグ結成は幻となりました。
まとめ
この記事では、近江谷杏菜選手の父親と妹の情報をまとめました。
- 父・近江谷好幸さんは、1998年長野五輪男子5位入賞のメンバーであり、シムソンズを育てた名コーチ。
- 妹・近江谷七海さんは、2010年に高校生スキップとして準優勝し、2012年には世界ジュニア選手権に日本代表として選出されるほどの才能の持ち主。
- 姉妹で同じ大会への出場はあるが、同じチームでの公式戦出場記録はない。
- 妹・七海さんは現在引退している可能性が高い。
近江谷杏菜選手が現在もトップレベルで活躍し続けられる背景には、オリンピアンである父の教えと、かつて切磋琢磨した妹の存在があったことは間違いありません。
氷上の杏菜選手を見るとき、その背後に「近江谷ファミリー」の絆と歴史があることを思い出すと、より一層応援に熱が入るのではないでしょうか。
現在も進化を続ける近江谷杏菜選手とフォルティウスの活躍に、今後も注目していきましょう!


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