森山直太朗さんの「夏の終わり」は2003年8月にリリースされた3枚目のシングルです。
8月末や9月になり、暦的に夏の終わりを感じると無性に聴きたくなる名曲ですよね。
美しいメロディと歌詞は、多くの人の心を掴んでいると思います。
そんな森山直太朗さんの「夏の終わり」の歌詞にはどんな意味が込められているのでしょうか?
ご本人によると「反戦歌」として歌っているようですが…。
森山直太朗「夏の終わり」の歌詞の意味は反戦歌だった
森山直太朗さんは2020年に出演したラジオ番組で「夏の終わり」について「反戦歌として歌っている」と語っています。
その上で、「曲の受け取り方は自由」とも話しています。
あの頃の自分は無邪気でしたけど、こういうときを予期して作っていたのかもしれませんね。反戦歌として歌ってはいるけど、人それぞれに見える景色があるから、曲の受け取り方は自由だと思っています。だけど、もっと奥を辿っていくと、「夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの」ということを、ただ歌いたかっただけなんだよね。まさか、こんなにいろんな人が歌ってくださる歌になるとは思ってもみませんでした。あと、僕に夏を終わらせる力はありませんからね(笑)。
引用元:ライブドアニュース
歌詞を見ると「失った人に会いたい」というのが一番に感じるメッセージでした。
夏の終わりに感じる一抹の寂しさと、今は亡き(あるいは遠く離れてしまった)人への強い想いを歌ったものと解釈できます。
「夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの」
繰り返されるこの歌詞が一番印象的で、森山直太朗さんの歌も相まって心に響くんですよね。
音楽は作者側の意図もありますが、受け取る側の感じ方も大切だと思います。
そういった意味では、森山直太朗さん自身が「曲の受け取り方は自由だと思っています」とコメントしてくれたのが嬉しいですね。
ということで、「夏の終わり」は反戦歌としての側面が強いが、受け取り側の解釈は自由ということでした!
森山直太朗「夏の終わり」の歌詞を深掘りした
森山直太朗さんの「夏の終わり」の歌詞をもう少し詳しく見ていきましょう。
畦道 肩並べ夢を紡いだ
曲の冒頭から2人肩を並べて歩いたという思い出が蘇っている印象を受けます。
焼け落ちた夏の恋唄
「焼け落ちた」がやはり戦争を感じますよね。
「情熱的な恋の終わり」として捉えることもできると思います。
夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
「会いたいけれど会えない人」への想いをかき立てます。
それは恋人かもしれませんし、友人、家族、あるいは二度と会うことのできない故人かもしれません。
忘れじの人は泡沫(うたかた)
「泡沫(うたかた)」は「水面に浮かぶ泡」のほかに、「消えやすくはかないもの」、「短命なもののたとえ」として用いられる言葉のようです。
戦争によってあっけなく失われてしまった命の儚さと重なります。
貴方を待っていた 人影のない駅で
「人影のない駅」というのが寂しさを倍増させます。
夏の祈りは
終戦記念日に行われる平和への祈りや黙祷を意味しているのでしょう。
妙なる蛍火の調べ
夏の風物詩である蛍の光は、古来より戦没者の魂の象徴として捉えられているようです。
蛍の幻想的な光の裏に、失った人々の魂が帰ってくる情景が浮かんできます。
追憶は人の心の 傷口に深く染み入り
「追憶」は、過去のことを思い出してしのぶこと。
戦争が人々の心に残した深い傷跡と、時が経っても癒えることのない悲しみを連想させます。
森山直太朗「夏の終わり」の捉え方は自由でOK
森山直太朗さんの「夏の終わり」は歌詞を見る限り、戦争の悲劇と平和への祈りを込めたメッセージソングとして捉える人が多いと思います。
しかし人によっては、切ない思い出を歌ったラブソングとして聴くこともできるでしょう。
過ぎ去った遠い過去の出来事を思い出してる方もいるでしょう。
『熱闘甲子園』のエンディングテーマだったので、高校野球を思い出す人もいるでしょう。
夏の終わりの悲しい風景の中に、個人の記憶と社会の記憶、そして日本の伝統的な無常観まで織り込んだ歌詞は非常に味わい深いですね。
森山直太朗「夏の終わり」の川越氷川神社バージョンが美しすぎた
埼玉県にある川越氷川神社で歌った「夏の終わり」が美しすぎます。
歌詞にも出てくる「風鈴」が並んだロケーションはこの曲にピッタリです。
ぜひ聴いてくださいね!
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